永遠少年症候群

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十三夜

 日が沈む。煙管をふかしながら窓の外を眺めると思わずため息が漏れた。

「夕月姉さん、最近ため息ばかりでありんすなぁ」
「!」

 驚いて振り向くと、妹分の吉國が襖に手をかけて廊下に座っていた。

「声くらい、」
「かけたでありんす」
「…用があるなら早う言いなんし」

 煙管の灰を落とすと、吉國が三つ指をついて頭を下げた。

「新造出しの件、ありがとうございんした」
「…」

 礼を言うようなことではない。身の回りの世話をする禿から振袖新造になるお披露目の一切を姉女郎が取り仕切る。文字通り、華やかで醜い世界に突き出すことになるのだ。礼をいうことでは、ない。

「稽古はどうでありんすか?」
「難しいでありんす。姉さんみたいには、とても…」

 厳しい稽古から逃げてきたのだろう。夕月は微笑みながら豆を作っている吉國の足を消毒してやった。

「姉さんの笑顔は、吉原のお天道様みたいでありんす。わっちもいつも笑っていたいけど、ここではそれも難しいことでありんすよ」
「かいかぶりすぎでありんすよ。さ、もう行きなんし」
「あい、姉さん」

 夕月は変わらず笑顔で吉國を見送った。
 今宵は待宵。十五夜が近づき、吉原もどことなくせわしない。十五夜には特別な意味がある。江戸の中でも、特に吉原は粋が体現できなければ疎まれる。
 夕月はそんな人々を、常に微笑んで見守ってきた。ため息をつくようになったのは、吉國の言うとおり最近のことである。
 夕月に入れ込んでいる男は数えきれないほどいるが、数度の呼出しを以て馴染みの客となったのは片手で数えるほど。競って夕月の機嫌を取ろうとする男たちを夕月はいつも微笑んで相手する。ただ一人を除いて。

「花魁、呼出しでありんす」
「あい」

 茶屋までの花魁道中を邪魔する者はなく、ただただ重い三枚歯下駄を引き摺って歩くのみ。三枚歯下駄は足に付けられた枷のようだと好きではなかったが、この八文字と呼ばれる歩き方が夕月は好きだった。しゃなり、しゃなりと優雅に歩を進めれば、その分客に会うのは遅くなる。見物人は寄ってたかって、他の花魁よりも更に遅い夕月の八文字を、しなやかで優雅だと褒めそやした。

「待っていたよ、夕月」
「…久しくありんすなぁ。わっちのことなど、お忘れかと」
「夕月を忘れたことなど片時もありはしない」

 松屋庄之助。札差でありながら憎めない笑みを浮かべる男の隣に、夕月はつんと澄ましたまま座った。
 庄之助は、頻繁にくる客ではない。けれど、一度に使うお金が多い夕月の馴染みの一人だ。
 芸者や幇間をあまた呼び、泊まって帰ることはない。馴染みの中でも最も粋な客として、呼出しが重なった時は優先された。

「待宵もようござんすなぁ」

 本当は、明日の十五夜にも来てほしいと言いたかったのに、口をついて出たのはそんな言葉だった。
 十五夜に来たら、来月の十三夜の登楼も確約される。どちらか片方にしか来ないのは縁起が悪い。三月に一度来るか来ないかの頻度でしか登楼しない庄之助に言うのは気が引けた。いや、夕月の意地が許さなかった。

「夕月の美しさにはかなわぬよ」

 言われ慣れているはずの言葉も、庄之助に言われると照れてしまう。
 初々しく笑う姿は、まるで生娘のようだった。

「さて、そろそろ」

 庄之助が軽く腰を浮かすといつもの夕月の微笑みはなりをひそめ、行き場のない手がゆるい帯を握りしめる。それを見て庄之助はいつも困った顔をした。

「そう怒らないでくれ。夕月に袖にされたらこの世の終わりだ」
「よく言うでありんすな」

 抱きもしないくせに。

「それじゃあ、帰るよ」

 大門まで送るとき、夕月はいつも名残惜しく手を伸ばしてしまう。
 庄之助は、泊まって帰らない。
 夕月は庄之助が来た時にだけゆっくりと布団にもぐりこめる。それなのに、眠れたためしは一度としてなかった。

「…」

 布団から白い手を天井に伸ばすと、手は空を切った。昨晩の庄之助の背中を思い出して自然に涙がこぼれる。
 来てほしいなど、ましてや、抱いてほしいなど誰が言えよう。好いてしまったからこそ、作り笑いを繕うこともできない上に庄之助に対して我が儘の一つも言えずにいた。たった一言、観月をと言うことすらできずにこうして涙を流す花魁が、他にどこにいるだろうか。
 前の晩に言えなかった言葉を口の中で転がして、夕月はふうっとため息をついた。庄之助ならば連日来たとしてもその財力はあまりあるはずであった。それでも隣で月見をしたいと言わなかったのは金蔓だと思っていないと示す、夕月なりの意地だ。
 夕月が筆を執ったのは、昼見世が終わる頃。馴染みの中でも屈指の豪商、伊勢谷時左衛門。羽振りはよいが野暮な男を誘う文を出した。

「花魁、呼出しです」
「…あい」

 普段通りの遅すぎるほどの八文字が、輪をかけて遅くなる。気が重いのが、足に表れているようだった。どうせ茶屋にいるのは伊勢谷だろう。
 茶屋についても、夕月はいつもの微笑をたたえながら、庄之助を想っていた。しかし何度目を瞬かせても目の前にいるのは伊勢谷で、夕月はいつもよりも落胆が大きかった。期待していたわけではない。だが、庄之助の後に来る客には、いつも妙に落胆してしまう。立ち居振る舞いを比べてしまうのだ。客にはそれを気取らせないにしても、吉國にはとうに気取られている。

「…夕月花魁、名代に参ったでありんす」

 酌をしたのを見計らって、吉國が入ってきた。伊勢谷の登楼中に夕月を貰い引きできるような客は一人しかいない。目を瞠って吉國を見上げたのも束の間、夕月は襟を整えて頭だけ下げた。

「わっちはここいらで失礼するでありんすよ」
「時左衛門さま、わっちが名代でございんす」

 伊勢谷は夕月をキッと睨みつけたが、文句を言うほどの野暮ではなかった。どっかりと座りなおして吉國に杯を差し出す。
 夕月は吉國にせかされるように茶屋を出ると、焦る気持ちを抑えて庄之助がいる茶屋へと向かう。

「…やあ、今日も来てしまった」
「なんで…」
「名月も一緒に見たいと思ってね。もちろん、栗名月にも来るさ。花魁の名誉のためにもね」
「わっちは庄之助さまを金蔓のようには想ってないでありんす。莫迦にしないでおくんなんし!!」
「ばかになどしていない」

 今まで、ろくに夕月に触れたことのない庄之助が、夕月の拳を握っている手を掴んだ。その手に口づけると、夕月はわずかに目を瞠った。
 夕月が振り払うように手を放すと、庄之助は杯を差し出した。

「さぁ、観月だ。お酌をしてくれないか」
「…あい、庄之助さま」

 この日も庄之助は泊まって帰らなかった。
 夕月は久しぶりにゆっくりと寝た。そしてひと月もの間、十三夜を心待ちにして過ごした。どんなにひどい客の相手にも一層美しく微笑んで応えた。
 ただ、庄之助が十三夜に来てくれるという希望だけを頼りに、ひと月を過ごした。

「花魁、呼出しです」
「あい」

 禿の声に、思わず声が弾みそうになった。
 待ちに待った十三夜。きっと今宵も庄之助は泊まって帰ることはないだろう。想いを遂げることなどないだろう。なのになぜこうも心が跳ねるのか、夕月にもわからなかった。
 庄之助の待つ茶屋へと、ゆっくりと向かう。ただ会いたいと、生娘のようにどぎまぎしている。

「やあ、夕月」
「久しくありんすなぁ」

 心からの笑みがこぼれると、庄之助は杯を取り落しそうなほど呆けて夕月を見た。

「これはこれは…名月が霞みそうだ。今宵は二人にしてもらってもいいかな」

 芸者たちが下がると、庄之助は夕月に向き直った。

「しばらく来れない」
「あ…」

 みじめな顔だけは、するわけにはいかなかった。寸でのところで涙を押しとどめると、夕月は庄之助を睨みつけた。

「そう怖い顔をしないでくれ。細見を見たら夕月は笑みを絶やさぬと書いてあったが、あれは嘘だな」
「…」
「俺は特別だと思っていいのかな、と思ったのだが」

 言えない。好きだなんて。
 聞けない。好きかなんて。
 誓えない。もう汚れてる。

「わっちは…」
「いつでも微笑むような、本当に強い女ならこんなに好きになったりしないさ」

 庄之助がするりと小指を絡める。

「一年、待ってくれ。必ず身請けする」

 あまりに唐突で夕月が呆けていると、庄之助は夕月の手を両手で包んで、付け足した。

「今宵を過ぎたら、あまり来れなくなる。だが、必ず」

 ひどい人。
 何人の女郎が、そうした甘言に惑わされただろう。
 何故、信じてしまうのだろうと思っていた。
 だけど、信じずにはいられない。

「愛してるよ、夕月」

 夕月は大きな瞳に涙を湛えたまま、うなずいた。満ちぬ名月が淡く照らしていた。

Coccoの十三夜を聞きながら、そのイメージを書きました。
この掌編小説は、著作権を放棄します。