永遠少年症候群

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    里戦争

     里に戻るつもりは毛頭なかったのだが、豊臣公の葬式についてきた肥後のはやて――十郎にせっつかれて散舞の里に戻ることとなった。久方ぶりの里は、相変わらず浮世離れしてわびしく、豪勢な聚楽第暮らしが長かったわらわには寂しい場所に見える。ここで過ごしたというのに。

    「太閤のはやて様だ」
    「はやて様! おかえりなさい!」
    「子どもが増えておるな。里長はおるか?」
    「こちらに!」

     子ども達が連れていった小屋は、わらわが寝食をした小屋であった。

    「……はやて様」
    「今は、里長だ。太閤のはやて……よくぞ果たした」

     わらわを拾い、育てたはやて様が里長となっていた。里長は元々高齢であったこともあり、亡くなったのだという。転生した先で、かつての主に会えるのであろうか。

    「里長殿、この身は、少し厄介なことになった」
    「怪我を?」
    「いや、そうではない。日の光に当たると死ぬ体となった」
    「面妖なことを言う」

     里長が滅多に変えない表情を驚きに変える。顔にある大きな傷が引きつれている。

    「南蛮の血をすする化け物に、仲間にされてしまったのだ」

     また表情が変わるが、それは驚きではない。呆れだ。

    「荒唐無稽な」
    「その代わり、不死の体だ」

     クナイで手を斬って見せると、里長はまた驚き、少し後ずさった。そうしてまじまじと、傷のない手を見る。

    「そのような嘘を吐く意味もなし、不可思議ではあるが、信じよう」
    「ま、そういうことだ。昼の任務は遠慮願う」
    「あいわかった。次はこちらの近況だ。最近、甲賀の者が麓の町に来るようになった。その度になんとか倒してはいるが、里の位置を気取られてしまったやもしれぬ。貴様が夜に活動するならば、我らの夜を守ってほしい」
    「奇襲があるならば夜であろう。承知した」

     黙って出て行くつもりであったのだが……。
     空いている小屋を使うように言われ、日の光が入りそうな隙間がないか目を更にして探したが、夜では見つからなかった。光が入ってからでは遅い。どうしたものかと思ったが、土遁の術で小屋を包む土壁を作ることにした。
     まこと、便利な術を教えてくれたものである。
     昼はぐうすかと寝て夜は運動ついでに里の周りを見て回る。

    「甲賀の忍びといえば、甲賀に里があるものの頭領は服部半蔵……」

     正重の顔がちらつく。
     まさかわらわが里に戻っているか調べるために甲賀を動かしたのでは、などと考えてしまう。それはわらわにとって嬉しいことで、甲賀には関係のないこと。その夢のような可能性はないに等しかった。
     たった七晩でずいぶんと絆されたものだ。
     大体、今の服部半蔵は正重の兄、正就だ。
     徳川殿が台頭するにあたり、豊臣方に多く与する散舞の里を潰そうという算段とみるのが正しかろう。

    「正重……」

     会いたい。
     また大人になっているのであろうか。わらわはあの時と少しも変わっていないのに。
     会いたくない。
     もう、正室をもらっていてもおかしくはない。
     溜め息が漏れた頃、山がざわめいた。

    「夜襲だ!」

     わらわの声をかき消すように、どんと火柱が上がり里を囲う塀の一部を包んだ。
     これが、甲賀の火遁。
     めらめらと燃える炎に逃げ惑う子ども達が照らされる。

    「我が片付ける。邪魔立てするなよ。……木遁!」

     里長殿が子ども達を逃がしたのを見て、新たに木の壁を作り、わらわ諸共甲賀を閉じ込めた。生木では容易くは燃えまい。
     しかし、甲賀の連中の反応は思っていたものとは違った。

    「……仲間が先回りしているという話は聞いておらぬが」
    「……」

     木遁の術を使ったことで、甲賀の者と思われたか。

    「しかもその術、上忍か?」
    「秘術とはいえ、何度もやり合うたはやてが、見よう見まねで術を使えるとは思わぬのか?」
    「……天才、という奴か」
    「褒められて悪い気はせん」
    「つまり、やはり敵」
    「我は散舞のはやて。時機が悪かったな。後悔するがいい!」

     ――と、啖呵を切ったはいいが、思ったよりも甲賀が多いな。
     クナイを握ると、あちらも飛び道具……手裏剣を出してきた。そうか、元は遁走術であったゆえ、攻めるのには使わぬか。

    「しかし一人でこの人数を相手しようとは随分な自信家ではないか。女が」
    「男が寄ってたかって恥ずかしいとは思わぬのか不思議だ」

     傷は治るが、夜明けまでにどうにかせねばならない。時間はそう多くはない。
     飛んできた手裏剣を避けると足元がふらついた。

    「毒が効いてきたようだな」

     毒は効かぬはず。現に、手裏剣が作った掠り傷は既に癒えている。
     甲賀の猛攻に防戦一方となるも、攻撃の手が緩んだ隙に軽く反撃をする。しかし力が入らずにクナイを取り落しそうになる。
     ふと、恐ろしくなった。何回傷を負い、綺麗に治ったとしても身を抉られるのは痛い。永遠に続く痛みだ。
     ぐっとクナイを握り直し、最後の力とばかりに目の前の男を薙いでいく。……と、血が舞うのがゆったりとして見えた。
     血。そうだ、わらわは、吸血鬼になってからまだ血を飲んでいない。
     倒れ込んだ男の腕にかぶりつく。嫌悪とは裏腹に、ごくごくと喉が潤っていく。手に力が戻っていく。
     あぁ、そうか。

    「化け物……」

     そうであった。
     火遁の術の印を結ぶ。呪詛を唱える。場所は、木で囲ったこの中全て。

    「火遁の術!」

     ちりちりと肌を焼く炎は熱く、気が狂いそうであった。いや、もう気が狂ったのかもしれない。
     炎の奥で、甲賀の叫びが聞こえる。これぞ地獄という光景に、流れる涙が落ちる前に乾いていく。
     炎が消えた後には、半分燃え残った木の壁の中にただの燃え滓が周りに広がるばかりであった。

    「……着物が燃えるのはいただけないな」

     壁を飛び越え適当に拾った着物を着こむと、そろそろ夜が明けようとしていた。
     小屋に戻って寝たが、起きても里には誰も戻っていなかった。里を移したのであろうか。

    「一言くらい言えばいいものを……」

     里の周辺を探して見つけたものは、新しく作られた里ではなく――。

    「はやて、様?」

     我が師匠と子らが、薪か何かのように積まれた光景であった。
     既に冷たくなった体は青白く、小さな穴がたくさん開いている。もう血も乾いている。

    「……なんと、酷い」

     最初から二手に分かれていたのか。しかし、甲賀の持っていた道具ではこの傷にはならないはず。

    「甲賀が全滅とは。酷いのはそちらだ」

     狐面――を持ってはいなかったが、風魔小太郎が木の上から見下ろしていた。なるほど、里長殿が苦手としていた風魔ならばやられても無理はない。

    「風魔は盗賊になり下がったと聞いているが」
    「俺はならない。徳川と手を組んだ。全てのはやてを殺してやる」

     戦がほとんどなくなっても投擲の腕は衰えていないようだ。太ももと胸に投擲針が突き刺さる。傷がみるみる内に治っていき、投擲針を押し出していく。
     その繰り返しだ。
     近付けないことにはどうしようもない。それこそ昨晩の甲賀と同じ、永遠に投擲針が刺さる痛みに耐えなければならない。

    「三十六計逃げるに如かず、か」

     踵を返し、近江国佐和山城へと向かう。全力で逃げ切ると、風魔小太郎は闇に溶けていった。

    「三成殿」
    「う、おっ、はやてか。どうした」
    「大変にござる。徳川殿が側についた忍びが我が里を滅ぼした。おそらく、旧豊臣方の勢力を削るため」
    「何」

     目の色が変わった。

    「そも、小田原征伐も徳川殿と我が主は同盟を組んだに過ぎないであろう」
    「……やはり。しかしはやて、何しに来た。拙者の忍びになるのか?」
    「何を言う。我が主はただ一人。主が築いた泰平の世を崩す者は、敵だ」
    「ふん、散舞の精神とやらとは違うようだが」
    「……里を滅ぼした徳川方の忍びを壊滅させる口実が要る。暗殺に失敗したのであろう? 貴様に手を貸してやろう、三成殿」

     三成殿は、不敵に笑った。

    「ならば、機が熟すまで待て」
    「承知した。里が滅びたこと、各地のはやてに伝えてくる」
    「おう」

     まずは最も近くにいるいつかを訪ねた。天皇の御所に忍び込むのはさすがに気が引けたので、とりあえず庭に立ち入ってみる。

    「もう一歩進めば首を刎ねる」
    「来たな。いつかに用があってきた」

     振り返ると、いつかはわずかに眉をひそめた。それにしても、さすがに気配くらいはわかると思ったがいつかの声がするまで背後にいることに気付かなかったとは、不覚。最も敵に回したくないはやてである。まぁ、首を刎ねられても死なぬはずであるが、ゾセフは首を刎ねたら砂になったので試す気にはなれぬ。

    「大声で呼ぶわけにもいかぬが、御所に立ち入るのは気が引けるゆえ、庭に立ち入ったのだ」
    「自慢げに言うな。まったく……。十年ぶりくらい? 何の用かな」
    「我が主が身罷り、里に戻ったのだが……、里が滅びた」
    「は!?」

     いつからしからぬ素っ頓狂な声をあげ、わらわの腕を掴んだ。二十一で時が止まったわらわに比べ、少し大人びたか。

    「うちの部屋で話そう」
    「いつか、好いた者がおるのか?」
    「なっ、何!?」

     いつのことであったか、兼久が恋の相談をしたら「はやてになるのに邪魔であるならば代わりに殺してやろう」と言い放ったといういつかの反応としては、意外なものであった。
     少ししおらしく、そして女子らしくなっているのは、気のせいではなさそうである。

    「そんなことより、里が滅びたってどういうこと」
    「甲賀と風魔が同盟を組み、里を襲ったのだ。……逃がした先に回り込まれたようで、子どもまでも皆……」
    「……そんな。里長は?」
    「里長は、かつて我を拾ったはやて様に代わっていた。前里長は大往生だ。…………報復を考えていると言ったら、手伝ってくれるか?」
    「里同士で、戦をするんだね。でも、うちの命は、主様のためにある。……正直、厳しい」

     いつかが唇を噛む。厳しい、か。誰よりも里のためを思っているいつかが、きっと一番悔しいのであろう。わらわなんかより。

    「白雪、……その報復、お願いしていい?」
    「無論」
    「……十郎は、難しい立ち位置だね」
    「ん? 何故だ?」
    「最近、十郎の主、加藤清正公が石田三成公を襲撃する事件が起こったんだよ。付くとしたら徳川側だね」
    「……そうか」

     仲が良いと思っていたが、そうでもなかったのか。
     次に向かおうと思っていたのは、十郎のところだった。いつかの方に先にきて正解だ。

    「各地におわす街のはやて様達に文を出してもらえるか?」
    「任せて」

     いつかが真剣な顔で頷くのを確認して、御所を後にした。
     佐和山城に戻ると、三成殿は書をしたためていた。これからしばらくは飛脚役であろうか。

    「……三成殿、加藤殿の忍びを除くはやては、こちらへつく予定だ」
    「清正の……」

     出会った頃よりも円熟味を増した主の部下殿は、この十年の間にいろいろあったようだ。三成殿は朝鮮出兵にも関わっているし……。朝鮮出兵は、豊臣勢の内情をぐらつかせるのに有効であったわけだ。

    「拙者は清正が……信じられん。秀吉様が築いた世を、家康殿は壊そうとしているのだ。それなのに……」
    「加藤殿の考えもおありであろう」
    「お前は! 許せるのか!?」
    「……戦をする時、此方も彼方も、正義は我にありと思うものだ。三成殿も、加藤殿も、おそらく正しい」

     三成殿は、苦虫を噛み潰したような顔で再び机に向かった。
     もう四十路であったか、少し頬がこけている。

    「お前、何歳になった」
    「んー、二十四、だったかな」
    「そのような年頃の女が男の部屋にいるものではない。書をしたため終えたら呼ぶ」
    「承知した」

     もう、婚期を逃したと言われるような年だ。
     正重。まだ、わらわのことをお姫様と呼んでくれるのであろうか。次に会う時は、敵であろう。
     これが、修羅の道。はやてとして、きっと正しい道。
     では、つばきとしては? 幼きわらわは、このような人生、望んでいない。
     膝を立てて俯く頭を支える。どれが正しいのかなど、考えるだけ無意味だ。どのような道も、正しいと思わなければ進めない。

    「はぁ……」

     このようにため息を吐いたまま一年が過ぎた頃、三成殿が時機が来たと一言言った。
     いつかに他のはやて様への伝言を頼み、向かう先は――関ヶ原。総大将は毛利輝元公。忍びの相手を一手に引き受けるというと、わずかにほっとしたようであった。
     本陣を出たところで、兼久を始めとする各地の情報収集を行っていたはやてが、一堂に会した。

    「……此度は……、我が力不足、まことに申し訳ない。我が目を離さなければ……」
    「白雪、今はそれを言う場じゃない。どうする」
    「……そう、か。伊賀、甲賀、風魔が全てのはやてを滅ぼさんとしている。特に風魔は……風魔小太郎一人であるが、危険だ。それぞれ各陣に散るのが良いかと思う」
    「そうだな」
    「それから、肥後のはやて――十郎は、東軍だ。……戦闘は避けられよ」
    「甘いなぁ」

     数人から笑いが漏れる。

    「甘くていい。我らが敵は東軍ではない。散舞以外の、忍びだ」
    「なるほど。西軍への味方というわけではないから武将の首は狙わなくていいのか」
    「左様。敵が東軍に紛れているだけのこと。では、散ってくれ」

     そろそろ夜が明ける。
     わらわは初めから隠れなければならない。また土遁で壁を作るか。
     はやて達が散るのを確認して、わらわは三成殿が陣を構える笹尾山へと向かった。

    「三成殿、鶴翼の陣というやつか」
    「そうだ」
    「『俺の戦術に間違いはない』?」
    「猿真似をするな」
    「三成殿がそれをいう時は、ろくなことがないからな」

     しかし実際、先んじたこともあって有利な陣形を敷いたはず。西軍の味方ではないと言うたばかりであるが、西軍の勝利は半ば手に入っているようなものだ。

    「三成殿。最終確認に参った。我ら散舞の里は、東軍に与する忍びを倒す。武将首は狙わぬぞ」
    「それで十分だ」
    「では、武運を祈る」
    「そちらこそ」

     土遁の術で壁を作る。……これを使って地下を移動したら楽では……、いや、木の上に逃げられたらいい的になるか。
     日が暮れるまで寝ることにすると、遠くでほら貝の音がした。

    「ん……」

     ぐっと伸びをすると、昼の合戦は終わったようだった。
     ここからは闇の時間。相手方も動き出す頃であろう。吸血鬼というモノになってからというもの、夜目がよくきくようになった。その分火遁の術など使われようものなら強く目がくらんでしまうが。

    「見つけた」
    「お早い到着であるな」

     風魔小太郎。少しやつれたか。
     凄まじい速さで飛んでくる投擲針を避け、距離をつめていく必要がある。鎧はない。

    「金遁の、術」

     ずずず、と地面から金属が立ち上る。体の表面を覆うと、飛んできた投擲針を音を立ててはじいた。

    「何故甲賀の術を」
    「色仕掛けにかかった奴がいるだけだ」
    「本当のことをいえ」
    「本当のことだ」

     距離をつめると、風魔は一旦攻勢の手を緩め後に引いた。あまり遠くに離れてしまうと暗くてどこにいるかわからない。
     カン、と右のわき腹を弾かれる。右にいるのかとそちらへ行くと、背中が縦に裂ける痛みで声も出ない。針を弾く音で場所がわかるのは、風魔も同じか。傷が治ってようやく、息ができた気がした。
     金遁の術は使えない。
     振り向いてクナイを振り回すと左の方で手ごたえがあった。

    「動ける傷ではないはず……っ」
    「ところがどっこい、生きている」

     近距離戦ならばこちらのもの。我がクナイは順調に風魔に傷を与えていく。しかし、風魔の方が力が強く、時折弾き返される。速さに慣れたのか、その回数が徐々に増えつつあった。
     幾度目か、わらわのクナイを止めた後にこちらのクナイを奪い取り肩から腹までを一気に裂かれる。

    「……っ」

     どうにか歯を食いしばり、こちらに通常ならば致命傷となる手傷を負わせたことで油断している風魔を真横に薙ぐ。
     血。血の匂いがした時に、どきんと胸が高鳴った。化け物の血が騒ぎだす。その場に膝をついた風魔の首筋に噛みつく。
     不味い。のに。止められない。

    「しら……ゆ、き……」

     それは、わらわの、名。

    「……あ……、あぁ……」

     わらわはもう、どうしようもなく、化け物だ。
     息も絶え絶えの風魔が、もう、餌にしか。

    「……いやあああああああああああああっ」

     違う。違う。違う!
     めちゃくちゃに印を結び、火を放つ。火遁の術で燃やし尽くしてしまうと、肉の焼けるひどい匂いがした。

    「お、ぇっ」

     腹の中が逆流してくる。だめだ、これでは、また血が足りなくなってしまう。

    「げぇっ」

     吐き気と涙が、しばらく止められずにいた。

    「無様でございますわね」
    「……サクラアテ」

     檻から出たのか。
     それとも幻覚か。

    「わらわは血を飲みつくしてなお、足りないというのに」
    「貴様と一緒にするな」
    「どこが違うのでございましょう」

     うるさい。
     火遁の術の印を結んだが、呪詛を唱えられず、ふらふらと背を向けた。
     翌日になって起きてみると、戦況は悲惨であった。西軍は互いの連携を取らず、有利であったはずであるのに押されている。あろうことか、我が主の義理の甥であった小早川殿が寝返ったとも聞く。しかし、里の威信をかけた戦いは拮抗しており、三成殿に構う余裕もない状態であった。
     なんだかんだと秘術しか見たことのなかった伊賀衆の戦闘は鎖鎌を用いており、散舞のクナイはやや大ぶりとはいえ役に立つものではなかった。起き抜けに苦戦を強いられている。というか、一度致命傷になりうる傷を負わされている。
     伊賀衆は武将首も狙っている。ほら貝が鳴る前に首を取った者もいると風の噂を聞いた。西軍の配下ではないとはいえ、一応友人である三成殿へ通じるこの場所を通すわけにはいかない。
     穴を開けられた腹の回復を待ちながら土遁の術で行く手を阻むと、伊賀衆はかつての甲賀衆のように驚き足を止めた。

    「何故はやてが秘術を」
    「こいつ……、傷が消えている……!」

     正重は、わらわの存在を伝えていないのか。
     阿呆な奴め。

    「悪いが通すわけにはいかぬ」
    「……不老不死か。サクラアテ様と同じならば、夜明けを待てばよいだけ」

     これは、まずい。そうか、伊賀衆はサクラアテのことを知っているのか。
     甲賀衆を撃退した時と同じように、己ごと燃やすか。……いや、まだ夜明けまで数刻ある。それは奥の手だ。
     じりじりと後退すると、足元でがちゃりと音がした。あぁ、そうか。クナイがだめならば刀がある。背が伸び、腰にさすようになった刀を抜くと、伊賀衆は鎖鎌を再び構えた。鎌の先に重りの付いた鎖がついている。この重りが頭を掠めても致命傷になりうる。
     確か伊賀衆は、道具がなければ秘術を使えない。

    「はっ」

     斬りかかると鎌の部分で受け、鎖を投げられる。鎖を腕で受けると腕にぐるぐると冷たい鎖が巻き付いた。別の者が斬りかかってくる。
     先程もこれでやられたが、今度は違う。金遁で傷を最小限に留め、木遁の術で絡めとる。最後に火遁の術を使おうとすると、ぽんと小さな火が出たのみであった。

    「随分とかわいい火遁の術だな」

     ふと血の匂いが香る。
     もしや、この術の精度と血には関係があるのであろうか。そういえば吸血鬼になってすぐ正重に火遁の術を見せたときから、火柱が上がるようになった。
     血を飲めればはっきりする。できるだけ回避したいが、喉が渇いて仕方がない。極限に達すると、自制が利かないこともあり得る。
     木遁の術で木に飲み込まれた状態となっている者にかぶりつく。やはり不味い。気持ち悪い。
     そうして火遁の術を使ってみる……と、火柱がごうごうと上がる。

    「……やはり、血が要るのか」

     そんな検証をしている場合ではなかった。いつの間にか木から抜け出した伊賀衆が三人がかりでとびかかってきた。腕と足を掴まれ、重しになるように腹をまたいで座っている。

    「あと、わずかで夜が明ける。……このまま灰にしてやる」

     手も足も出ない。逃げ出せない。
     このまま日光が当たれば――……。続く言葉を考えると、血の気が引いた。
     ギラギラとした目で、鎖鎌を打ちこまれる。そうして傷が治ると、また打ちこまれる。痛みでどうにかなりそうであった。これならば、いっそ灰になった方が良いのではないか。朦朧としてきた頭で、死にたい死にたいと考え始める。
     その声が聞こえたのは、痛みで声も出せなくなった頃であった。

    「つばき!」
    「……、まさ……し……げ……」
    「つばきに何をしている!」

     わらわの腹の上の伊賀衆を吹っ飛ばしたのは、同じ伊賀衆――正重だった。
     また少し、精悍な顔立ちになっている。歳が、近く。

    「若旦那、こいつは敵で――……」
    「暴漢に成り下がるとは」
    「はぁ!?」

     昨日、風魔にやられた分を含め、傷は癒えているが一緒に裂けた着物はそのまま……確かに、わらわが暴漢に襲われているようにも見えなくはなかったのかもしれぬ。全くの誤解であったが、鎖鎌に太刀打ちできなかったことを考えると正重が追い払ってくれるのならば好都合だ。あえてその誤解を解くこともせずに着物を正す。

    「手討ちにしてくれる」
    「て、手討ち……までは、しなくとも」

     仲間殺しの咎を背負わせるわけにはいかぬ。
     追い払ってくれるだけで良いと慌てて正重に釈明しようとするが、見たこともない怒りの顔で正重が鎖鎌を構えている。

    「相手がつばきでなくとも、規律違反。俺のつばきに手を出したんだ。手加減はできぬ」

     さすがは服部家の者というべきか、正重は圧倒的な力量の差で己の部下を手討ちにしてしまった。わらわは動けなかった。元より殺すつもりであったのに、正重が手をかけたということが、何故か重くのしかかる。
     呆然としていたら、正重がわらわを抱きかかえた。

    「夜が明ける。あっちに小屋があったから隠れよう」

     木こりが使っているのであろうか、本当に小さな小屋に入ると、正重はほっと息を吐いた。

    「……正重」
    「会いたかった」
    「……うん。しかし、やはりわらわは忍び――散舞の忍びだ」

     壁に追いやられる。小さな窓から入ってくる光を、正重が遮ってくれている。
     正重が体一つ分横に動けば、この体は灰になる。

    「此度の戦は、忍びの里の覇権争いの隠れ蓑だ。貴様もわかっておるであろう」
    「……でも、つばきを殺せるわけないだろ」
    「阿呆だな」

     そう言って正重にクナイでも突き刺せば、誇りをもって散舞のはやてであると言えたのであろうが、正重の襟元を掴んで引き寄せる。

    「貴様の前では、わらわもただのつばきになってしまう。わらわも阿呆だ」

     この手は、血に塗れているのに。
     あの時に、名を教えなければ。涙を見せなければ。会いたいと思わなければ。正重は、きっともっと幸せな道があったのではないか。
     しかし唇を重ねると、その後悔も消えてしまう。
     昼の間にボロボロになった着物をどうにか縫い合わせ、日が暮れたところで小屋を出ようとすると、正重に引きとめられた。

    「戦が終わったら、はやてに戻ればいい」
    「……」

     確かに、はやてを全て殺すとまで言った風魔はもういない。
     耳を塞ぎ、戦が終わるまで手を汚さずに。

    「俺の初陣は、武将首一つってことで、もう放棄する。半蔵は兄貴だし」
    「……では、わらわもそれでいい」
    「永遠に戦が続けば、ずっとつばきとここにいられるのに」

     それにしても、小さな子供が大きくなったものだと、正重を抱きしめる。すると、正重はわらわが折れるかと思うほど強く抱きしめ返してくる。
     後に関ヶ原の合戦と呼ばれる戦が終わったとき、正重は名残惜しそうにわらわを抱きしめた。
     わらわはそのまま戻らず、散舞の歴史から姿を消すことにした。正重の前からも。

    2017/01/06公開