永遠少年症候群

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    帝国歴311年9月8日

     大佐って、思ったよりも楽だ。
     就任から一週間経って、ぽつりと姉にこぼすと姉は笑ってココアをいれてくれた。

    「案ずるより産むが易しってことよ」
    「今は役所が開いてる時間じゃなきゃできない手続きばっかりなの。だから、役所の時間外は暇っていうだけなんだけど。今日は士官学校に出張してる少佐達が帰ってくるし、もっと暇になる」
    「これから少しずつ忙しくなるかもしれないわね」
    「軍隊なんて忙しくない方がいいんだけどね」
    「あら、アリス。早く行かないと遅刻よ」
    「えっ、もうそんな時間!? 行ってきます!」

     急いで家を出ると、同じように走っているボトルグリーンの制服を着たバーントアンバーの髪の青年。あの珍しい髪色に加えて体格からも十中八九ジェイド・グラッスで間違いないだろう。寝癖が跳ねている。仕事の疲れが溜まった上に仕事に慣れてきて気が緩んだのだろう。身に覚えがあって微笑ましい。
     彼は横断歩道に差し掛かると、一瞬立ち止まって時計を見て、左右を確認した。踏み出そうとするところで思わず叫んでいた。

    「おい! 遅刻はよくないが信号無視もするな!!」
    「!!」

     恐る恐るといった調子で振り向く彼に、ゆっくり追いつく。

    「た、大佐……おはようございます」
    「おはよう。君は常に模範にならなきゃいけないんだよ。軍の中だけじゃなく、一般市民の前でも」
    「申し訳ありません」
    「私も一週間経った頃に初めて寝坊したよ。今日はのんびり行こう……寝癖を直しなさい」
    「あっ」

     慌てて頭に手をやるけれど、相当にしぶとい寝癖なのか何度撫でつけてもピョンと跳ねている。
     5歳。たった5歳しか離れていないのに、とても幼く見える。

    「それで、仕事には慣れた?」
    「はぁ……少しは」

     へらりと笑うグラッスくんの、鎖骨が浮いているのが妙に気になった。腕を掴んでみると、手の甲にも骨が浮き出ている。

    「食事はきちんととっているのか?」
    「え……あ……えっと、自分、一人暮らしで……その……」
    「……昼と夜しか食べてない」

     適当に言うと、彼は観念したように黙って頷いた。

    「君は将来、最低でも中隊を預かるエリートなんだぞ。自己管理くらいできないと……」

     携帯電話を取り出して、ヴィンセントの番号を呼び出す。

    『……俺だ』
    「ヴィンセント、新人を連れて射撃場に行ってくる。シモンとツヴァイクくんが戻ってきたら伝えといて」
    『新人?』
    「ジェイド・グラッス上級大尉」
    『グラッスか。なんだ、遅い春だな。アリスは年下好きだったのか』
    「もうっ、馬鹿なこと言わないで! いい? シモンにもちゃんと伝えてね!」

     電話を切って顔を上げると、グラッスくんが驚いた顔でこちらを見ている。

    「女の子らしい喋り方が素なんですか? レイス中佐と仲良いんでしたっけ」
    「あ……いや、ヴィンセントは……士官学校からのライバルで……。一応、皆の前では舐められないように……」
    「可愛いですよ」

     そんな、言われ慣れていないことを笑って言うので、顔がかぁっと火照っていく。ヴィンセントに言われた遅い春とかも、妙に意識してしまう。顔を見られないように、足早に歩き出す。

    「朝ご飯、食べにいこう」
    「あ……待ってください大佐」

     ……というか、25歳に「女の子」はないだろう。可愛い。可愛いかぁ……。かっこいい上司、目指してたんだけどなぁ。

    「奢るから、好きなものを食べなさい」
    「えっと、あ、モーニングで。……大佐は食べないんですか?」
    「私は食べた。……そうだ、家が近いんだから朝ご飯はうちで食べて行くといい」
    「え!?」
    「どうせ一人増えたところで変わらないだろうし。早めに家を出てうちに寄ればいい」

     家に電話をかけると、姉は電話中のようだった。後でかけ直すしかなさそうだ。
     グラッスくんが頼んだモーニングがきて、私の目の前にはコーヒーが置かれる。頼んでないのに、と顔を上げるとカフェのマスター、リリーさんが「どうぞ」という仕草をする。確かに、私が何も口にしなかったらグラッスくんが食べづらいか……。ありがたくもらっておこう。

    「帰りに家の場所を……そうだ、家の場所を教えるついでに夕飯も食べて行ったらどうだ? シモンとヴィンセントも呼ぶか。……あ、ツヴァイクくんも呼んだ方がいいよな」

     シモンは私が少佐の時は部下だったのでよく家に呼んでいたが、ツヴァイクくんは別の小隊の少佐だったのであまり家に呼んで食べさせるというようなことはなかった。一緒に飲み屋街を連れ回されたことならあるけれど。

    「勝手に決めていいんですか……?」

     目玉焼きを頬張りながら上目づかいにグラッスくんが言うので、思案する。既に結婚しているシモンには3回に1回の割合で断られるが……。ツヴァイクくんはどうだろう。

    「シモンは別としても、ヴィンセントは間違いなく来るから安心してくれ。ツヴァイクくんも……まあ、来るだろう」
    「そうなんですか……」
    「あ、朝食を提供するのはあまり言わないでくれ。うちの姉は人気があるから、苛められるぞ」
    「お姉さんがいるんですか?」
    「あぁ。美人で完璧な自慢の姉だ」

     グラッスくんが食べ終わるのを見て、コーヒーを飲みきる。

    「……君は子供か」

     紙ナフキンで頬についたケチャップを拭きとってしまうと、会計を済ませるためにカウンターに向かった。
     寝癖といい頬のケチャップといい、子供の面倒をみているようで目が離せないなぁ。
     試しに射撃場に自力で向かってみろと言うと、グラッスくんはいい返事をして逆方向に歩き出した。

    「…………グラッスくん」
    「はい?」
    「こっちだ」
    「あー……あはは……申し訳ありません」

     今日の朝イチで出張から戻ってくるとはいえ、そろそろ誰かが射撃場にいてもおかしくない時間だ。部下を連れてサボっていたとあっては示しがつかない。

    「ついたらさっそく射撃訓練だな。競争するか?」
    「大佐の射撃見れるんですか!?」
    「最近訓練に参加できてないからなぁ……腕が鈍ってるかも」

     幸い、射撃場には誰もいないようだった。

    「種類だけは揃えてあるから好きな銃があればそれでもいいが……士官学校で採用されているのはレミントンM900だったよな」
    「はい。……それにしても、広い射撃場ですね」
    「ん? 射撃場使うの初めてか?」
    「いえ、レイス中佐に何度か連れてきてもらいました」
    「じゃ、使い方はわかるな」

     頷くグラッスくんにレミントン900を手渡して、的がランダムに配置されるように調節する。
     狙撃銃を握るのは久しぶりで、銃身にキスでもしたいくらいだ。

    「それじゃあ、全ての的を早く打ち抜いた方の勝ち。用意、スタート」

     撃つ度に数えながら、的を撃ちぬく。反動すら心地いい。硝煙が好き。
     全部打ち抜くと、鼻歌でも歌いたい気分。

    「うわー……大佐、すごい……」
    「……」

     グラッスくんも何発か撃っていたはずだが、無事な的がいくつかある。命中率はお世辞にも高いと言えないようだ。
     銃を置いて、腕を組み思案する。まだきっとのびしろがあるはずだ。ここで頭ごなしに否定してはいけない。……と、昔ツヴァイクくんに言われたことを思い出し、結果絶句してしまった。

    「大佐の射撃を見れるなんて幸せ者だな」
    「おはようシモン。出張お疲れ様」

     たぶん入るタイミングを見計らっていたのだろう、シモンが敬礼をしてからゆっくりと入ってくる。

    「手を抜くのなら、競争する意味はないかと」
    「……手を……抜いていらっしゃったのですか……」
    「……い、いや……?」

     思わず目を逸らしてしまうと、グラッスくんはがっくりと肩を落とした。シモンに目で助けを求めると、小さく溜め息を吐かれた。

    「落ち込むほど自信でもあったのか? お前くらいの命中率なら、中尉でもごろごろいる」
    「……すみません」
    「シモン、言い過ぎ。これから君が指導するんだから。……まぁ、ツヴァイクくんが飴でシモンが鞭になりそうだね」

     この無神経さ、さすが私の数年来の部下だ。元々部下の指導にはツヴァイクくんが飴で私が鞭、と役割を分けていたので、きっとそのまま引き継がれることだろう。

    「大佐、報告が」
    「ん? グラッスくん、あれ全部撃ちぬいといて」

     珍しくシモンに袖を引かれてグラッスくんから少し離れる。

    「……妻が妊娠しました」
    「えっ!? にん……っ、……あ、あの、おめでとう」
    「ありがとうございます」

     シモンは先程から表情を少しも変えない。

    「……初出産だよな。しばらく早めに帰って、奥さんを不安にさせない方がいいかもしれないな」
    「やはり、不安なものなんですか?」
    「……私は妊娠したことがないから想像だけど……。奥さんを大事にするんだよ。君の奥さんは大丈夫じゃなくても大丈夫と言うタイプだろ」
    「そうかもしれません」

     シモンが真面目な顔で頷くので、大丈夫なのかとこちらが不安になる。

    「いいかシモン。奥さんがいいと言っても、安定するまでは君は昼休憩を2時間とって家に帰れ。午後は定時で帰れ」
    「しかしグラッスの指導が」
    「時間外指導なら私かヴィンセントがするしツヴァイクくんもいる。とにかく、奥さんに無理はさせるなよ」
    「……質問が」
    「なんだ」
    「安定は、どれくらいでするものなのですか?」
    「……ひ、人それぞれだと思う。奥さんが気持ち悪いと言わなくなるまで」

     流産の可能性があるとかはわかるけど、どの状態で安定と言えるのかとかわからないな。経験はもちろん、そもそも身近にすらそういった縁がないし。
     シモンが大真面目な顔でまた頷き、訓練に戻ると告げて去っていく。
     ……姉に電話しなくては。いや、ロゼッタ? 救護部隊は隊員の家族の出産までカバーしているのだろうか。こんな時、中佐がご存命だったら……って、あの人も出産経験はないか。

    「あ、シモン」
    「はい?」
    「ツヴァイクくんとヴィンセント、それにグラッスくんには伝える、いいね?」
    「はい」

     シモンは既にグラッスくんの指導に戻っている。
     対応はあれでよかったのだろうか? 業務時間は私の好きにして構わないだろうけど……。……というか、妻の妊娠なんて上司に報告するものなのか!? いや、知らないよりはいいだろう。

    「難しい……」

    2016/05/01公開