永遠少年症候群

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    ブクログのパブー……電子書籍形式。詩の投稿はこちらのみ。
    小説家になろう……ガラケー、スマホ対応。pdf形式の縦書き対応。

    あの頃の夏の日に

     もしも、あの頃に帰れるなら。そう思ったことはないだろうか。僕はある。高校生の頃のように、大切な仲間たちと他愛もない話をしたり、授業中に変なあいうえお作文を作って回してみたり。何も考えないで毎日を享受していた、あの頃に。
     仲間たちは皆、それぞれ3年分の年を取っていた。何人かは大学生・短大生だし、何人かは社会人。変わっていないのは僕だけのように思えた。

    「あれからまだ3年しか経ってないんだねぇ」
    「隣のクラスだった奴とか、名前思い出せない奴いたわ」
    「来なかった人、けっこういたね」

     仲間たちが、口々に言いながら玄関で靴を脱いでいく。同窓会の後、母校に行こうと誰かが言い出した。
     あれほど見慣れていたのに、夜の学校は少しだけ不気味だった。
     夜の学校に入れたのは明石さんが教育実習で高校に戻っていて、校舎の鍵を持っていたからだ。曰く、普通は持っていないらしい。では何故持っているのか、とは聞かない方が良さそうだった。

    「幽霊でも出るかもね」

     武井さんが、僕を見ながら言う。そんな武井さんの腕を取り、明石さんが腕を組む。

    「怖いの?けいちゃん」
    「オレは怖いなぁ」
    「ふふっ、怖くないわよ」

     武井さんが笑って答える。
     明石さんは、武井さんの腕を離すと、大木の腕に絡みついた。それを見て、村上さんが鼻で笑う。

    「相変わらずラブラブだこと」
    「羨ましいねぇ」

     いかにも微笑ましい、という顔で眺めている川口さんと、花井。横溝も明石さんたちを見て、腕を組んで首を傾げる。

    「俺の彼女、そんなにべったりくっついてこないけど」
    「うわ、横溝に彼女いるの?」
    「いるよ」

     横溝は確か、浅田さんのことが好きだったよな。浅田さんはというと、にこにこ笑っている。……どう、なんだ?彼女がそうなのか?新たな出会いがあったのかな?
     3年の頃の教室は、机の上に椅子があげてあり、全てが後ろに押しやられていた。

    「夏休みに入る前に、ワックス掛けしやすいように後ろに下げてあるの」
    「椅子だけ借りて並べるか」
    「……徳田、一つ足りないわ」

     武井さんに指示をされて、10脚の椅子が円状に並んだ。僕が座ると、何故かみんながこちらを見た。あぁ、懐かしいなぁ。

    「よく10人の大所帯でいられたもんだ」
    「まぁ、普通に考えて多いよね、10人のグループって」
    「なんか、性格もバラバラなのにね」
    「すごいバランスだったと思うわ」

     カップルがいないという、ただの友情に徹した究極のバランス。僕達を僕達たらしめるものは、その建前だけだった。それを壊したのは、もしかしたら、村上さんに告白をしてギクシャクさせた僕なのかもしれない。

    「あいうえお作文とか、よく作ってたよね」
    「明石は今でも一人でよく作ってるよな」
    「暇潰しにちょうどいいもん」
    「懐かしいね。作ろう」
    「……今日は10人ってことで、10文字でいいんじゃないかしら」
    「はい、じゃあ、あたしお題出す!『あの頃の夏の日に』!」

     明石さんが軽やかに立ち上がって、有無を言わせずに、黒板にひらがなのお題を書いていく。

    「明石ちゃんからでいいんじゃない?」
    「うん、じゃあ、『あまりにも暑すぎる』!」
    「なんだよ、それ」
    「ほらー、この高校、山の上だからとかいってクーラーないし。暑かったじゃん」

     あの頃の、夏の日に。
     あの頃。僕はちゃんと、同じ時を思い浮かべているだろうか。

    ***

    『あまりにも暑すぎる』

     休みすぎたか。
     机の冷たいところを探すように張り付いて、暑さをやり過ごそうと試みる。けれど、バカみたいに風が熱い。

    「明石、アイス買ってきた」
    「売店開いてたの……」
    「ほら、食え」
    「ありがと」

     大木からアイスキャンディーを受け取って、口に詰め込む。暑さを奪ってくれているようで心地いい。

    「そういえば、ぐっちょんからきてたメール見た?」
    「川口?あぁ、見た見た」

     高校3年にして、初めての夏期補講。授業を休みすぎたのが原因だ。
     大木。せっかく、大木と一緒なのに。
     いかんせん、暑すぎる。

    「大丈夫か?」

     あたしのおでこを触る大木の手は、熱かった。いつもなら嬉しいけれど、振り払いたくもなる。
     本当なら今頃、クーラーの効いた図書館で読書でもしている頃なのに。
     振り払うわけにもいかず、席を立って窓辺に寄る。外では、こんな快晴なのに――快晴だから、か――運動部が元気よく活動していた。

    「あれ、ちっちじゃない?」
    「あ?城野内?あいつまだ部活してんのか?」

     大木が隣に並ぶ。
     陸上部で走ってる、見慣れた小麦色の肌。城野内くんで間違いない。

    「おーい!ちっちー!!」

     大きな声を出して呼ぶと、城野内くんがこちらに気付いて手を振る。
     代わりに吸い込んだ空気は、少しだけ冷たかった気がする。

    「やっぱり、ちっちだった」
    「そうだな」

     少し溶け始めているアイスを食べきって、ぼーっと立っている大木のアイスにもかぶりつく。

    「おいっ、やめろ」
    「溶けそうなんだもーん」

     えへへ、間接キス。

    ***

     明石さんが細い字を書いている。小柄なまま。でも、高校生の頃にしていたような、ツインテールにはもうしないらしい。相変わらず童顔なのに、確かに大人っぽくなっている。

    「なーに見つめてんのよ」

     その声にはっとして我に返ると、大木が照れた様子で首を振っていた。

    「別に見つめてなんか……!あ、次は俺だな」
    「の、だよ」
    「『のれんをくぐれば』」

     明石さんからチョークを受け取って、大木があまりきれいとは言えない字で『のれんをくぐれば』と書いていく。

    「《まるい》のさ、かき氷おいしかったよな」
    「後で行くか」
    「おぉ、行こうぜ」

    ***

    『のれんをくぐれば』

     ちっち、か。
     ママチャリを出しながら、思わずひとりごちる。城野内がちっちで、徳田がとっくん。武井がけいちゃん……。
     明石は俺にだけあだ名をくれない。グループ内で俺にだけ、だ。
     別にあんな変な名前で呼ばれるくらいなら大木と普通に名字を呼ばれた方がマシなのは確かだ。確かなのだが、どうも納得がいかない。
     確かに中学では俺よりも仲が良い男子がいたはずだ。でもここでは、俺が一番のはずだろ。あの中学の男でさえ、みっつんというあだ名があった。
     なんで俺だけ。

    「大木、どうしたの?遅いから迎えに来ちゃった」
    「あ……、悪い」

     明石が不審げに俺の顔を覗き込んでくる。頭の高い所で二つに結わえた髪が、さらさらと風に流されている。体も細けりゃ、髪も細い。明石は何でもかんでも細くて、触れたらすぐに壊れてしまいそうだ。

    「大輔も夏休み始まってるんでしょ?」
    「毎日プールとかサッカーでかなり充実してるっぽいな。小学生は元気でうらやましい」
    「大輔って、夏休みの最終日に慌てそうだよね」
    「小学生男子は大体そんなもんだ」

     俺のことを話題にはしないくせに。
     小学生の弟にまで嫉妬してどうする。
     それもこれも、何も進展がなさそうなこの状況のせいだった。

    「……乗れ」
    「うんっ」

     毎朝呪っているこの長い坂も、明石を後ろに乗せてチャリで下ることを思えば少しは楽しい。ささやかな幸せだ。

    「掴まってろよ」
    「うん」

     毎度、最初は遠慮して服を掴んでいるくせに、途中で腹にぐるりと手が回ってくる。握力も弱い手で服を掴まれるよりも安心して坂を下れる。俺の心臓の、破裂しそうな音が聞こえてしまうんじゃないかと少し不安にもなる。
     でも、この……会話もない、この時間が、とても幸せだ。

    「ご苦労」

     よいしょっと言いながら、明石が満足げにチャリから降りる。

    「いやー、爽快爽快」
    「あーそうかい」
    「何それ、つまんない」

     つまんないと言いながら、明石は可愛らしく笑う。そのまま、和風カフェののれんをくぐる。その白いうなじに、どきっとした。

    「はぁ……」

     俺にもあだ名をくれよ、明石。

    ***

     隣で大木が一瞬遠い目をしたことにも気付かない様子で、川口さんが宇治金時がいいなぁ、なんてかき氷に思いを馳せている。

    「次は川口ちゃんじゃない?」
    「あれ、私?あ、時計回りなんだね」

     浅田さんに指摘されて、川口さんがのんびりと立ち上がる。そしてチョークを手に取ってから少し悩んだ。

    「こ、だもんね」

     よし、と小さく呟いて『心だけ海へトリップ』と、丁寧な字で書きこんだ。

    「ふぁー、黒板に字を書くのって相変わらず苦手」
    「綺麗な字じゃないか」
    「そうかな」

     徳田が言うのに、素直に照れて見せる川口さん。そういうところが、可愛らしくて中学の頃からとても人気があった。

    ***

    『心だけ海へトリップ』

     まるいに集合、とメールを送るのにも、けっこうな勇気が要った。
     わたしから何か声をかけることって、あんまりなかったから。でも、どうしてもみんなで海に行っておきたかった。
     返事があったのはごく数名で、ちょっと気が重かった。変なメールって思われてたら、どうしよう。

    「川口ちゃん、言いだしっぺが遅れちゃだめじゃない」
    「あ……」
    「海行きたいんだっけ」
    「う、うん」

     いいんじゃない?と花井くんが言ってくれた。

    「補講組も城野内も、あの時間のメールじゃ見てないわね」
    「お、遅かったかなぁ」
    「ちょっとね」

     一字一句、ミスがないように何度も読み返していたら、あんな時間になってしまったのだ。テンポが遅いと言われるけれど、どうしても初動から遅いのだからこの性格、あんまり好きじゃない。

    「お待たせー!」

     恵ちゃんと大木くんが一緒に入ってくる。二人以外は、私服だった。花井くん、かっこいいなぁ。

    「今集まったばっかりよ」
    「おばちゃーん、かき氷、二つ。いちごとメロン」
    「わ、わたしも、宇治金時」
    「やっぱ三つ!いちごとメロンと宇治金時!」

     大木くんがまとめて注文してくれる。恵ちゃんに聞きもしないで頼むあたり、さすが。もしかしたら来る途中で話してたのかも。
     仲良しでいいなぁ。

    「で、ぐっちょんは海に行きたいんだっけ?」
    「行きたくない?」
    「行きたいけど、水着買う猶予がほしいなーっと思って」
    「そうだね、私も新しいの買いたい。武井ちゃん、明日買い物行こう」
    「そうね。3人はどうする?」
    「あたし明日も補講だからパス。あ、あのね、日曜にしてほしい。土曜に水着買ってくるから」
    「私、今年の水着は買ってるからいいや」

     二人が断ると、ユウちゃんはわたしを見た。

    「わたしも、行く」
    「じゃあ、明日のお昼に駅集合ね」

     あぁ、よかった。みんな、海に行きたいって思ってくれたんだ。

    「みんな楽しそうで、よかったね」

     花井くんが、囁くように言う。花井くんの声がしみ込んでいくところから、きっと体が赤くなってる。顔がうまく見れない。

    「う、うん……。嬉しいな」

     ほんとは、彼と一緒だったらどこだっていいんだけど。

    ***

    「ろ……ねぇ……」

     川口さんからチョークを受け取って、徳田が眉根を寄せる。ラ行はけっこう難しいのだ。

    「『ロマンチックのカケラもない』なんてどうだ?」
    「ねぇのかよ」
    「なかっただろ」
    「明石の水着姿を見ただろ」
    「明石のなんかお前……、なぁ」

     徳田が何かの同意を求めるようにこちらを見た。まぁ、浅田さんとか川口さんの方が見応えはありそうだと心の中で徳田をフォローしておく。絶対口に出すべきことじゃないけど。

    「あたしが何?とっくん」
    「いや、ほら、な!俺は武井が、な!」
    「あんた……よくもまぁぬけぬけとそんなことを」

     武井さんと明石さんが、かなり険しい顔で徳田を睨みつける。徳田は話を振った大木を殴ってもいいと思う。話題が最低すぎる。
     しかし、徳田と武井さんがそんな関係なんて。
     徳田は、本人は誰にも言わずに隠しているつもりだったみたいだけど、川口さんのことが好きだったのがバレバレだったというのに。

    ***

    『ロマンチックのカケラもない』

     海に来ている。1週間前から計画していたことだ。晴れてよかった。
     でも一人、足りない。
     城野内が10分待っても30分待っても来なかった。電話にも出ない。仕方ないから、城野内に対してかなりキレていた横溝をなだめてやってきた。
     ちょっとだけギクシャクして、1時間ほど怒っていた横溝も今では楽しそうにビーチバレーに加わっている。
     まぁ、何よりも……、海に行きたいと言い出した川口が楽しそうで、良かった。

    「しないの?」
    「えっ、あっ、す、するって、ナニを」
    「ビーチバレーよ。さっきから見てるだけじゃない」

     水着の上からパーカーを着た武井が、ジュースを持って立っていた。

    「お前、パーカーって……。色気ねぇな。最初から着てたか?」
    「影に入ってたら寒くなっちゃって。焼きたくないし」
    「脱いだらナンパでもされるんじゃね?」
    「ばか」

     一応、武井にはいろいろ世話になっているわけだし、褒めておいて損はない……と思うのだが、どんな水着だったかはちゃんと見ていなかった。
     明石みたいな、ヒラヒラの水着だとは考えにくいし、浅田みたいな水玉模様も考えにくい。あ、下と同じ柄か?といって、尻ばっかり見るのもちょっと躊躇われる。
     脱げと言うわけにもいかないし。俺はセクハラ親父か。お前って本当に着痩せするよな、とか。それ、褒め言葉なのだろうか。

    「……で、あんたはしないの?ビーチバレー」
    「……球技得意じゃねぇし。カッコ悪いところ見せたくないだろ」
    「それがカッコ悪い……」
    「うっせ」

     なんだか、ちょっとでも武井のために悩んだことがばからしくなって川口を目で追う。川口は、とても楽しそうに花井と話していた。
     お似合いだよ、ほんと。

    「ロマンチック、どっかに落ちてねぇかな……」
    「良かったじゃない。川口が楽しそうで」
    「……あぁ」

     武井は、俺の隣に座ったまま、遠くの海を見ていた。

    ***

     徳田が、押し付けるように武井さんにチョークを渡す。さらさらした肩までの黒髪を背に流すようにして、武井さんはぽつりと言った。

    「知ってる?幽霊が見える人と、波長を合わせたらみんなにも見えることがあるのよ」
    「ぎょえっ、いきなりの怪談!?」

     村上さんが、お世辞にも可愛くない驚き方をして椅子の上で膝を抱えた。女性ならではの細さで、しかもお尻だけで体を支えるなんて、筋肉質の村上さんだからできる芸当なのではないだろうか。
     妙に感動して眺めていると、武井さんはふっと笑った。

    「そんなに怖がるなんて、脅かしがいがあるわ」
    「武井って、そんなにお茶目だったっけ」
    「さてと、やっと思いついた」

     チョークを持て余していた武井さんが、立ち上がって黒板に向かう。

    「海で飲みすぎたのよね……」

     黒板に、神経質そうな字が並んでいく。『飲みすぎたカルピス』。

    ***

    『飲みすぎたカルピス』

     ズズッ、とストローが音を立てた。嫌いな音。普段なら絶対にこんな音立てないのに。
     徳田ばっかり見てるからだ。
     自分で自分を、嘲りたくなる。徳田は、私のことなんか全然見てないのに。

    「……おじちゃん、カルピスおかわり」

     プラスチックのコップを突き出すと、海の家のおじちゃんはニカッと笑ってイカ焼きをサービスしてくれた。

    「姉ちゃん、片想いかい?あまじょっぺーなぁ」

     すっぱいのではなく、しょっぱいのか。カルピスとイカ焼きの、奇妙なセットのように。
     徳田の笑顔が自分に向き続けることはない。それは痛いほどよくわかっていた。けれど今だけは、今くらいは、いいじゃない。

    「イカ焼き?お前、太るぞ」
    「食べたいならそう言いなさいよ」

     徳田にイカ焼きを渡すと、一口かじられて返ってきた。間接キスなのかと妙に意識してしまうと、食べづらくて泣きそうになった。
     徳田はそんなことにも気付かない。私の想いには、気付かない。
     小さくため息が漏れた。相変わらず、徳田は川口を見ている。見てるだけでいいのか。私は無理だ。隣で、独占したい。

    「食わねぇの?俺が言ったこと気にしたのか?お前はもうちょっと太ったくらいがいいと思う。胸はでけぇけど、尻はねぇし」
    「あんたホント最低……」

     そういうことじゃない。
     なんだかバカバカしくなってイカ焼きにかぶりつくと、徳田が目を細めたのが視界の端で見えた。

    ***

    「さっきのけいちゃんの話ってさ、この中の誰かが見える人じゃなきゃいけないんじゃないの?……もしかして、けいちゃん」
    「武井さん、見えること誰にも言ってないのかい?」

     僕の言葉に、武井さんが僕をじっと見つめる。それから、ニッといたずらっぽく笑った。真面目の塊のような気がしていたけれど、随分垢抜けた印象だ。

    「……さぁ、どうなのかしらね。はい、花井よ」
    「僕は、ちょっと幽霊も見てみたい気がするけど」
    「ちょっと花井、その話は蒸し返さないで」

     村上さんが肩を竦める。花井はいつもの人のいい笑みを浮かべてごめんと言った。

    「あの頃の夏の日に……、な、だよねぇ」

     花井が縦長の綺麗な字を書き連ねていく。

    「はい、『ナンパ初体験』」
    「えっ、う、嘘だよねぇ!?」

     川口さんがおたおたと尋ねる。花井はいつもの人のいい笑みを浮かべるだけだ。けっこう表情読めないな、こいつ。

    「花井なら、ナンパなんかしなくてもわらわら寄ってくるだろ」
    「そんなことないよ」
    「逆ナン、されたってこと?」
    「ないない」

     花井は表情の読めない笑みを浮かべて川口さんといちゃついている。なんか面白いな、このカップル。
     花井はナンパするタイプじゃないもんなぁ。誘ったのは、僕だけど。

    ***

    『ナンパ初体験』

     なんで、城野内は来なかったのだろう。そういえば先日会ったときも様子がおかしかった気がする。
     ――海に行ったらさ、ナンパに挑戦してみないかい?
     そんなことを言うタイプじゃないから、僕はかなり適当にいいよなどと返事をした。どうせいつもの冗談だろうと思ったからだ。
     でも、いざ海に来てみると城野内はいない。冗談を言ったのではなく、様子がおかしかったのかも。

    「はぁぁ……」

     どうせなら、とびっきり可愛い子をナンパして城野内に自慢してやろうと思った。けれど、見ず知らずの女の子に話かけられるわけがない。
     そもそも――……、そもそも、僕にとってとびっきり可愛い子は、川口さんしかいないのだ。グループの女子はみんな可愛い部類だと思うけれど、種類が違う。
     川口さんを見る時にだけかかるフィルターが、あった。どんなものかは、誰にも――川口さん本人にすら――言わないけれど。
     影に入ると寒いので、みんなを眺めている武井さんと徳田からは少し離れて座っていたけれど、立ち上がって砂を払い、ビーチバレーをしているメンバーに歩み寄った。

    「僕も混ぜて」
    「うん、花井くんはこっちのチームね」

     とびっきり可愛い子を、ナンパした。
     海に行きたいと言い出した川口さんが楽しそうで、僕はとても嬉しい。

    ***

     村上さんは、いつの間にか膝を抱えるのをやめていた。

    「……次、私……」

     花井からチョークを受け取って、考え込んでいる。次は、つ、だ。

    「……私、さ……」

     何か言いかけて、僕を見て口を噤んだ。それでも、ゆっくり首を振って顔を上げた。

    「あの日城野内が来なかったのは、私のせいじゃないかと思ってる」
    「違うよ」
    「なんでそんな風に思うわけ?」
    「……それは……」

     僕が、村上さんにフラれたから。でも、違う。全然、違う。

    「オレは、断られるのをわかってた。それで……」
    「……きっと、城野内は優しいから、違うよって言うでしょ……。でも、私、ひどいこと言ったし」
    「優しくなんかないのに」

     君だったから、なのに。

    「……村上ちゃん、次は、つだよ」
    「あ……ごめん。ちゃんと考えてたんだよ。『疲れる事も忘れて』」

     サバサバした口調にはちょっと似合わない丸文字を、村上さんが書いていく。

    ***

    『疲れる事も忘れて』

     ただ体を動かしていれば、きっと心のもやも晴れると思った。
     一昨日の、ことだった。珍しく買い物に出たら、城野内がいた。あまりにも珍しいね、ということでモールの中にあるファーストフード系のカフェに入って、最近のことを話していた。私は、グループ内に私と城野内と横溝の3人しか体育会系がいないから勝手に同士だと……性別を超えた親友、みたいに思っていた。

    「オレ、好きなんだよね。村上さんのこと」

     そんな笑顔で、さらりと、言われるとは、思っていなかった。

    「……あ……、冗談、だよね?」
    「冗談で言わないよ、こんなこと」
    「でも私、横溝のこと、相談……してた、じゃん」

     私が横溝のことを好きだって知ってて、そんなこと言うのか。

    「……わかってるよ。けっこうさ、辛いんだよ。他の相談ならいいけど、他の人が好きっていう相談は……辛いんだよ」

     親友だと思ってたのは、私だけなんだ。
     なんだか、知らなかったとはいえ私の方がひどいことをしていたのはとてもよくわかるのに……、それなのに、裏切られた気分だった。

    「……ごめん。でも、告白されても、私は」
    「わかってるよ」
    「わ、わかってない、くせに。あんたに何がわかるの……」

     ひどいことを、言った。
     最低だ、私。

    「かみかみ、危ない!」
    「えっ!?」

     ばしんっとボールが顔にぶつかった。ソフトバレー用の大きくて柔らかいゴムボールとはいえ、けっこう痛い。

    「悪い、村上。大丈夫か!?」
    「ごめん、ぼーっとしてた」

     そうだ。海。……城野内、来なかった……。
     私のせい、だろうか。

    「どうしたの?考え事?」
    「あ、いや……」
    「何か知らないけど今は全部忘れて楽しんじゃえ!」
    「……そうだね……」

     体を動かして、今日は帰ってぐっすり眠ってしまおう。

    ***

     チョークが横溝に手渡された。そういえば、横溝の彼女って、誰なんだろう。大木達や徳田達のような会話がないということは、やはり僕の知らない人だろうか。

    「……の、3つめじゃん」
    「いいじゃん!」
    「や、悪いとは……言ってないけど」

     横溝が大きくてしっかりした字を書いていく。

    「『残された宿題』」
    「確かに、横溝から手伝えって言われたわね」
    「横溝くんといえば、宿題だね」
    「結局うやむやにして宿題しなかったしさぁ」
    「う、うるさいなぁ。ほら、次、浅田な」

    ***

    『残された宿題』

     俺の連絡に対しての返事はまばらだった。が、ほぼ全員がまるいに集まってくれた。しかし全員ではなかった。

    「また城野内かよ」
    「連絡、つかないよね。僕も昨日帰ってから連絡したんだけど……返事ないし」
    「あいつ、一応電話の折り返しくらいはするし」

     花井と徳田が肩を竦める。

    「それよりさぁ、あたし筋肉痛なんだけど……」
    「何のために呼んだのよ」

     明石と武井がぶーぶー言う。城野内のことはどうでもいいのか、こいつらは……。

    「城野内くんのことは心配だけど、ほら、前にもずっと寝てて遊園地ドタキャンしたことあったでしょ」
    「あいつ信用ねーな……」

     あれはひどかった。帰る頃に今起きたと連絡があったのだ。
     フォローのしようもなく、かばんから夏休みの宿題を取り出すと、何人かが露骨に嫌そうな顔をした。

    「何、それ」
    「宿題が終わりません。助けてください」
    「はぁ?お前ふざけてんのかよ」
    「横ちん、今までけっこう時間あったよね?」

     非難ごうごう、といったところで天の助けのようにケータイが鳴った。

    「城野内だ。……もしもし、城野内、お前」
    『……横溝くん?』

     囁くような、かすれた声だった。

    『……タケルの、母です』
    「……?」
    『たくさん、連絡くれてたのにごめんなさいね。タケル、昨日、事故にあって』

     話が飛んだりボソボソと話したりするおばさんが言ったことをまとめると、城野内は交通事故にあったらしい。病院名を書きとめると、武井がタクシーの方が早そうね、と呟いた。

    ***

     横溝からバトン、もといチョークを渡された浅田さんがにっこり笑う。

    「もう決まってるの。『暇だと言ってみたけれど』」
    「意味深」
    「そうでもないよ。次は、誰が――……」

    ***

    『暇だと言ってみたけれど』

    「うん、暇だから……。うん……それじゃあ、また……病院で」

     電話コーナーを出て、携帯電話の電源を切った。本当は、全然暇じゃない。病院には……城野内くんのお見舞いには、既に来ていた。

    「……城野内くん、みんな、心配してるよ……」

     声をかけてあげてくださいと、言われていた。
     城野内くんの両親はかなり忙しいらしく、1週間を過ぎるとこれ以上は休めないと言って長時間の面会に来るのは仕事が休みの日だけになってしまった。

    「……城野内くん」

     触れたことは、絶対にないその手を、ぎゅっと握ってみる。
     もう一度呼びかけると、指がぴくっと動いた。

    「城野内くん!?」

     ナースコールを、押さなきゃ。

    「……みさん、むらかみ、さん」

     ボタンを押そうとした手が、止まった。
     私は、浅田だよ?

    「城野内くん……?」
    「ほんと、ごめん。でもほんとにすきだったんだよ」

     それだけはっきりと言って、城野内くんは目を閉じた。その目が開くことは、もう、二度となかった。

    ***

     浅田さんが、チョークを取り落した。少し欠けてしまったそれを拾い上げると、ひっと小さく、喉を引きつらせた。

    「僕は、に、でいいかな」
    「……城野内くん……」
    「武井、これ、お前、ほんとに」
    「私は知らないわよ。怖い話しただけじゃない」
    「……城野内、に、だ」

     僕の声が届く。それがどんなに嬉しいことか、きっと君達にはわからない。君達と話せるのがどんなに嬉しいことか。海にも行きたかった。もっともっと、一緒にいたかった。

    「『二度と忘れない』かなぁ。ごめんね、正確には忘れたわけじゃなくて……海行く日、勘違いしちゃってて」

     それで慌てて走って行ったら、事故にあったんだ。

    ***

    『二度と忘れない』

     片時も、忘れないよ。
     僕は、僕の葬式で初めて、9人も親友がいたことに気付いた。今更気付くなんて、どうしようもない奴だよ。
     明石さんが泣いてくれるなんて思わなかった。僕よりも冷めた性格だと思っていた。でも、もしかしたらみんなを一番大切に思ってるのは彼女かも。
     浅田さんには、何度だって謝らなければならない。この、肉体を持たない状態になって見てみれば、僕の最期を見届けてくれたのは、村上さんではなく浅田さんだった。
     大木。嫌い、だった。明石さんが大切なくせに、大事なことは言わない。それなのに、明石さんに話しかけると嫌そうな顔をする。ずるい。羨ましかった。その関係が。
     川口さんは、柔らかそうで芯の強いところがある。このグループの女子では一番、男気がある人だと思う。飯野の奴、元気にしてるかな。海に行きたいって言ったのは川口さんなんだっけ。行けなくて、本当に申し訳ないなぁ。
     武井さん……。

    「……武井さん」

     武井さんが僕を見た。その唇は、泣くまいと固く引き結ばれている。
     しっかりした人。みんなを慰めて、一体誰が彼女を守って、慰めてくれるのだろう。

    「……無理、しないでね」

     武井さんは、一度、大きくまばたきをした。
     徳田は、武井さんの孤独に気付くだろうか。ブチの散歩、ちゃんとするだろうか。
     花井の奴、女子みたいに泣いてる。本当に、優しすぎるほど優しい奴だ。僕の心のとげは、確実に9本、花井のおかげで抜けてしまった。
     村上さん。村上さんの心に、僕はいるだろうか。こんなの、卑怯だよな。できれば生き返って、もう一度きちんと好きだと伝えたかった。
     横溝……、茫然自失、という感じだな。大丈夫かな。
     こうして見ると、本当に……、僕の高校生活は楽しかったなぁ。
     8月26日は、海に行く日。二度と、忘れないよ。

    「あー、楽しかった!」

    ***

     村上さんが、ぼろっと涙を流した。

    「村上さんのせいじゃない」

     それから、浅田さんに向き直った。彼女は椅子の上で小さく丸くなっている。その手を握る……ことはできなかったけれど、握る真似をした。

    「浅田さん。手を握っていてくれて、ありがとう。……本当に、ありがとう」
    「……城野内、消え……てる」

     泣いたり驚いたりで、波長とやらが乱れたのかな。というか、武井さんの言ってた波長説は、本当なのかな。なんの波長なのかな。

    「あぁ、よかった。言いたいこと言えて」
    「城野内くん……?見えなく、なっちゃった」

     僕はここにいるんだけどなぁ。武井さんを見ると、彼女は軽く肩を竦めて口を開いた。

    「さて、城野内も成仏したことだし《まるい》でかき氷でも食べましょうか」
    「成仏なんかしねぇだろ、あいつ。……今度はもっと、話したい……」
    「あー、横ちん、泣いてる!」
    「明石こそ」

    あ あまりにも暑すぎる
    の のれんをくぐれば
    こ 心だけ海へトリップ
    ろ ロマンチックのカケラもない
    の 飲みすぎたカルピス
    な ナンパ初体験
    つ 疲れることも忘れて
    の 残された宿題
    ひ 暇だと言ってみたけれど
    に 二度と忘れない

     あの頃には戻れないけど、まぁ、二度と忘れないからいいかな。

    2015/05/10公開